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ゲームサイド編集部の何か

5年前の今ごろの話をする

明日6月8日で秋葉原通り魔殺傷事件から5年かー。

もう5年も過ぎてしまい、編集部(がやってる事は何ら変わりないけど)を取り巻く環境なども変わってしまって、あの時、身をもっていろいろ感じたことや起こったことを、今さらだけど、そっと書いておこうかな。自分以外、神も悪魔も誰も降り立たない荒野ブログだし。

 

5年前の今ごろは、『テイルズ オブ』シリーズ特集号を作っていた。そろそろ校了時期で慌ただしかったけど、週末に友人たちから立川で飲もうぜーと誘われて、いつものようにゲームの話などしながら明け方まで飲んで、朝帰りで解散するかーと中央線に乗り込んだ時に、友人が携帯の一行ニュースを見て「秋葉原で殺傷事件だって!?」と声を上げた。これが自分が事件を知った第一報だった。

仕事柄、秋葉原へ通うようになったのもちょうどこの頃で、もしかしたら自分が事件に巻き込まれていたかもしれない……と血が冷めていくような、すぐそばにある恐怖を感じつつ帰宅して、テレビで一連の報道を見ていたら、犯人の中学校の卒業アルバムに『テイルズ オブ デスティニー』のリオン・マグナスのイラストが描かれていて、容疑者が本作のファンであったのを知った。

 

『テイルズ オブ』シリーズ特集号を制作していた最中の、何ともいいがたい衝撃だった。

『テイルズ オブ』シリーズが好きなファンの中にはもしかしたら犯人がいて、本誌を手にとってくれていたのかもしれない。やるせなかった。

 

出ている情報でしか認識できないが、もし事件の犯人が、いわゆるアニメや漫画のオタクだったら……まあ時折起こってしまうオタクへの誤解を生み出す事件かな、って程度だったかもしれない。しかし、あの卒アルのテイルズイラストから考察するまでもない、ゲームオタクだったら……ゲーオタとして心を揺さぶられないはずはないと思うのだ。

 

事件の悲しみや、犯人の心の闇の深さとやりきれなさに暮れる間もなく、本誌校了がいよいよ迫ってきた。しかしいつもの連載コラムの原稿が、〆切ギリギリになっても上がってこない。「今回は少し時間をくれ」とのことでついに完成した原稿は、このような出だしだった。

 

 

やりにくいけど、やる

 

 あーやりづらいなあ!

 何がって、ほらアレだよアレ。どう考えても『カーマゲドン』に『ポスタル』って感じの事件が起きちゃってさ、いろいろな意味でやりきれず、またやりにくくなったわけよ。やっぱなー、タイミング的になー。ワタクシめのような文筆業の傍流の末端に位置する者でも、それなりの社会的責任があると考えればだね……。

 それでも締め切りは迫ってくるし、他に何のアテもないから、結局は書いちゃうんだけどね。だってそれしかねんだもんよ。

 

 

 

この冒頭から、今ハマッているという360版『バーンアウトパラダイス』をいつもの調子で紹介する内容だった。コラムの締めで、なぜ本作が素晴らしいかを語っているのだが、その観点にハッとさせられた。

 

 

(中略)

 自動車を題材にしたゲームはごまんとある。きっとそれらの開発者たちも、車好きに違いない。それぞれのゲームに、様々な自動車への偏愛が見て取れる。

 で、『バーンアウトパラダイス』にはそれが極端に現れている。あまりにも自動車中心主義を貫きすぎたせいか、人間不在になってしまった! パラダイスシティには歩行者など一人もいない。それどころか、【走っている車にもドライバーが乗っていない】

 それは、人を轢き殺したり、クラッシュするとドライバーが内臓破裂で死んだりするようなゲームだと、年齢制限がついてしまうから……かな? たぶんそうだろう。だけど俺はそう解釈しない。

 ここは楽園なんだよ。人間の手を離れた、自動車たちの楽園。

 だからこのゲームはジャンクヤード(解体所)から始まる。人間の所有するガレージでもなく、また人間が自動車を売り買いするディーラーでもない。そういうものはパラダイスシティに存在しない。この世界では、自動車は誰かに売り買いされて使われるようなものではない。自動車が自身の自由意志によって走り出すんだ。

 そこがたまらなくイイんだよ。この解釈が間違っているとは思えない。なんせゲーム中の車種紹介でも、「スクラップになりかけてなお攻撃的に走り続ける驚くべき精神力だ」なんて説明文があるくらいだ。あるんだな、自動車に精神力ってものが……どんなファンタジーよりも幻想的な異世界じゃないか!

 

 

これを読む前、自分は「現実がつらく、ゲーム好きであれば、ゲームの世界へ逃避すればよかったのではないか?」など漠然と考えてはいたものの、うまく言語化できなくてモヤモヤしていたが、〆切ギリギリまであの事件とゲームの関係に向き合って葛藤し、最後に「人のいない、車だけの楽園世界なバンパラ最高!!」と結んだ文章力と、レースゲームへの深い愛情と、不器用さの裏側にあるかもしれない人への優しさに、すっかり感服してしまった。

実際に起こった事件や出来事について、ゲームを交えて考えられるのは、人生や生活がゲームに寄り添っているからであり、「ゲーム感覚で人殺しする」など報道で呼ばれる“ゲーム感覚”のそれとは異なる感覚なのだ……って、このへんは編集長もいつか言ってたっけ

 

 

犯人の心の闇を作り出してしまった状況や世間は、結局5年たった今でも特に変化はない気がする一方、自分らは何とか忙しく(毎号残機ゼロウイングだけど)ゲームの本を出せている……奇跡のような、崖っぷちの連続だった5年間と、ちょうど5年前を、ふと思い出してみた。

 

5年たっても忘れられない人々が、事実が、そこにいる。