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ゲームサイド編集部の何か

インターネットで死ぬこと、現実で生きること

最近、何となく考えさせられるような事が同時多発的に起こったので、適当にまとめて書いてみる。

 

つい先日、「Google+のハングアウト機能で、今年亡くなった実父のアカウントに話しかけたら、もしかしたら父が生き返るんじゃないか、って気がする」という誰かの話題を聞いて、ひとつ思い出したことがあった。

 

今からちょうど8年前、本誌の前進「ユーゲー」の前編集長で闘病治療中だったEさんが亡くなって間もない頃のある日、社内でメッセンジャーソフトを立ち上げていたら、なんとEさんのアカウントが突然サインインしてきて、とても驚いた。

恐る恐る、思わず「Eさん、生き返ったの?」とメッセを投げてみたら、「Kです。あいつのPCの中身を整理しようとしたら、メッセも立ち上がっちゃった」と返ってきた。どうやら編集部で元「ユーゲー」編集長・Kさんが、Eさんのデスクの遺品整理でEさんのPCを起動したら、メッセも起動してしまったらしい。浮上してきた時はすごくビックリしてしまったが、Eさんが本当に生き返って編集部に戻ってきたような気がして、なんだか嬉しかったような、不思議な体験だった。

 

秋のセンチメンタルな季節柄もあり、そんな昔のエピソードをふと思い出していたら、ネットの友人の日記更新一覧に、ある人の日記がアップされていて、またもや一瞬目を疑ってしまった。

その人は、本誌の雑誌時代からの読者さんで、6年前の9月末、Eさん同様、闘病の末に若くして亡くなられて、今回の日記は「早いもので七回忌を迎えました。彼の死後も長く友人でいてくださり、ありがとうございます」という、読者さんの婚約者によるお知らせだった。そうか、こちらももう6年経つのか……。

6年前の夏、本誌ライターから熱心な読者さんだと紹介されて、編集長と一緒に病院へお見舞いに行き、表紙デザインのボツ案などのプリントを持ってお見せしたら、とても喜ばれたのを覚えている。それから間もなくして逝去されたのだった。

ゲーム以外にも多趣味でTシャツコレクターだったらしく、お見舞い後、以前本ブログに勢いだけで書いたエントリを読んで「あのシリーズは自分も大好きです。いい買い物をしましたね!」と感想をメッセージで送ってくれたのが、ちょっと恥ずかしくもあり、嬉しかった。

 

ハングアウトされても返事のない実父、メッセ上に突然浮上してきたEさん、自らの七回忌をお知らせする読者さん……みな、すでにこの世にいない人ばかりだが、アカウントが消えない限り、ネットではまだ、まるで生きているように存在している。

たとえばしばらくの間……ほんの数日でも、SNSやネットから離れてみて、自分のいないオンライン上のログを覗いてみると、まるで自分が死んだ後のいつも通りな世界のように見えて、ちょっとした臨死体験ができることに、最近気づいた。他人のネット時間軸に自分が存在しない世界。これがインターネットで自分が死ぬことなのだと。

また、少し前に「新黒沢」目当てで買ってた「ビッグコミックオリジナル」で連載中の「三丁目の夕日」(西岸良平)で、高齢のおばあちゃんが病気で床に臥せっていたら、過去に亡くなった家族や友人たちが枕元に現れて、いよいよ私もお迎えがきたか……と思いきや、「あなたが長生きしてくれたおかげで、自分たちもあなたの思い出の中でいつまでも忘れられず、ずっと長く生きていられた。本当にありがとう」と感謝されて、まだ死ぬわけにはいかない! と元気になって、その数年後におばあちゃんも天国へ旅立ち、おばあちゃんの思い出はおばあちゃんの子や孫たちへと引き継がれて……という話を読んで、ネットでも現実でも、いつまでも消えない彼らの面影が残り続けるのは、時にはやるせなく、辛くもあるけど、誰かの思い出の中でずっと生きてくれていると考えるのも、まあ悪くはないかなと思った。

 

さまざまな話が同時多発的に交差しひとつになり、生と死についてフト、いろいろと考えさせられたが、まあひとまずはこんな感じで。自分も死んだらハングアウトもサインインもオンラインにも入れないけど、もしそうなってしまっても、できればゲーム上のステータスでは常にオンラインでいたいな。「あいつ死んだと思ったら、ゲーム上ではオンになってるぞ」と言われたい。