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ゲームサイド編集部の何か

達成を超えて王となれ

達成感。

たった三文字のために、ずいぶんと長い間、苦労も絶望も遠回りもたくさんしてきたが、先日ついに、とうとう、この手に得ることができた。
勤続、社会人歴……いや人生スケールでも、これほどまでの大きな達成感は、いまだかつてなかった。大げさかもしれないが、今まで不可能だと思っていたことを可能にできたのがいまだに信じられないくらいだ。

何物にも得難い達成感のため、つねに心の片隅に置いていた、ある言葉があった。

月並みな疑問だが、なぜ人はゲームをするのか? そこにゲームがあるから…では答えになってない。世の中には安くて手軽な娯楽がいくらでもある。(中略)なぜ自分は身銭を切って、こんな苦行のようなゲームに身を投じているのか?
それは、この手で何かを成し遂げたという達成感がほしいからだ。だから人はゲームを求める。でもゲームなら何でもいいわけじゃない。いくら感動的な物語だの迫力の映像美だのと売り文句を並べても、ボタンを押しているだけで先に進むようなゲームには何の達成感もない。空虚なだけだ。かといって、常人にはクリア不可能なゲームは達成感以前の問題だ。被虐そのものに喜びを見いだすマゾヒストでなければプレイできない。
クリア不可能に見えてクリア可能なゲーム。苦行のような道のりの先に、強度の快楽が待っている。そんなゲームこそ理想のゲームと言えるだろう。


……これはゲームにおける達成感の話なので、自分が得ようとしている達成感とは異なるシチュエーションとモチベーションではあるが、いつもこの言葉を思い出しては何となく励まされ、つらい困難や壁を乗り越えていけた……気がする。いわゆる、ゲームやってたら日常生活で割と役に立ったとかいう、ライフハック的なアレだ。


自分もこの世界へ来て無駄に長い年月が経ち、その都度そこそこの規模の達成感を得てはまた次の達成感へ……を繰り返して過ごしてきたが、自分のため以外、誰かや人のためにがむしゃらになって達成感を得ようとしたのはこれが初めてで、おそらく最初で最後であるし、もはや自分らにしかできないと思った。


得がたい達成感と期せずして、ちょっとした節目を迎えてしまう都合のため、描いた理想の完璧な達成感ではないかもしれないが、それでも本当にやり仰せられた。愚直なまでに。

まったく余計なコトをしやがって、とめんどくさそうにボヤかれるかもしれないけど、ボヤキは自分らの肉体が滅んで魂だけになったら、あとでゆっくりじっくり聞く。

今の心境でよくありがちな「これが終わったら一番したいことはなんですか?」って質問がもしあったら、とりあえず「ゲームしてー」と答えとくかな。『逆裁123HD』の続きと、そろそろ出る『Wolfenstein: The New Order』がやりてー。


ところで話は変わって、昨日は会社近所にある古びた喫茶店へ行った際に、お店の気さくなマスターとおかみさんたちと談笑する機会に恵まれたのだが、自分らが生まれる前の年から営業しているというかなり年季の入ったお店で、昔は近所の一流商社マンが多数出入りしたり、会社単位の出前注文にあふれて店内中のコーヒーカップが足りなくなるほどだった、などの昔話を聞けて大変興味深かった。テレビゲームの話をしたら、昭和52年頃にハワイ旅行へ行った時に現地人たちがテレビゲームのサッカーゲーム?に夢中になっている様子を見た翌年にインベーダーゲームブームが訪れたので、「あん時もしあのゲーム機を買って日本へ持ちこんでたら、今頃大儲けできてたかもなぁ〜」と話してたのが特に面白かった。

マスターに仕事や身の上話をしたら、「俺たちゃもうとっくに終わっちゃってるけどさー、若い人たちはこれからだよ、これから」と返ってきた。

……冒頭で達成感がどーのこーのとのたまってしまったのがまるでいっぺんに吹き飛び、何となく気恥ずかしくなるような一言だったが、マスターの言うとおりだなと思った。

この達成感を一生の宝物にして、まだこれからが、あればいいな。