ゲームサイドUG neo

ゲームサイド編集部の何か

ゲーセンスナップ活動のススメ

なんか前々回のエントリが、いつの間にかえらい勢いでブックマークされたりネットで拡散されてるっぽくて、本家ブログと合わせてもこんな現象初めてで結構びびって、ちょっとした反響をもらったりもして、ただの闇ブログなのになんだか不思議な気分だけど、ここはゲームのことしかほぼ書かないゲームブログなので、いつもどおりゲームの話をしたいので、する。

 

ゲーム誌編集部にいると「○○の実物か写真素材、どこか誰か持ってないかな~」と、ゲームソフトや基板、画面写真などが必要になってくる機会がとにかく多く、それが年代物になってくると、ことさらに大変で、とにかく少しでも手がかりやアテが欲しくてあちこちを捜索しまくっている。掲載したいゲームの版権を捜索する、いわゆる“ゲーム興信所”稼業の重要業務のひとつだ。

 

コンシューマ系の資料素材は、いつもご協力いただいているメーカー様や周囲の資料提供協力者をはじめ、これまで編集部が長年蓄積してきたアーカイヴが充実しているので、何とかなる場合が多いのだが、アーケードゲームについては、インストカードや基板の素材所有率は高いものの、純正筐体の実物や写真資料、これがなかなか簡単に出てこない。バージョンを重ねている初代筐体などはなおさらだ。

「せめて筐体写真でもどこかに写ってないかな……」と、過去に編集部が撮影した数々のゲーセン内写真を、ワラをもすがる思いで眺めてると、ゲーセンで写真を撮って記録しておくの、実はけっこう大事なんじゃないかって気がしてきた。

 

さまざまな都合上、店内は撮影禁止が基本のゲーセンも多くあるが、撮影はNGだとしても、たとえば今日は○○が稼働していた、○○でスコアを更新した、などの文章だけでもいい、せめて個人で楽しむ範囲で、その時その瞬間のゲーセンを、記録に残せないものか、と考えてしまう。

 

さほど数は多くないが、編集部に残っている、歴代の先人たちが何気なく残しておいてくれたゲーセン写真ですら、今となっては貴重な資料だなーと感心する。当時の彼らは別に(業務以外の)使命感があって写真を撮っていたわけでは決してないだろうし、あくまで趣味の範囲の写真が多いのだが、ずっとあるのが当たり前だと思い込んでいたゲーセンや筐体が、どんどん消えてゆくのが当たり前な今となっては、歴史に残らない歴史を、記憶だけのインプットだけでなくアウトプットしてゆくのは、少なくとも自分にとっては、仕事柄を除いてもわりと大事なのかもと思えるようになった。

 

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ロケ地がどこかは何となく察していただくとして、こんな感じで、行く先々のゲーセンで撮れる範囲をスナップしている。『サイバーサイクル』や『ランボー』が稼働している場所は、昔は別のフロアにゲーセンコーナーがあり、『レイブレーサー』のツイン筐体が現役で稼働していたらしい。だが今は見る影もなく、屋上遊園スペースの片隅でひっそりと残った筐体たちが佇んでいる。この稼働情報も、形として残っているのは、おそらく過去の前身誌で書かれた記事のみかもしれない。

これらの写真のうち2軒のゲーセンは、今はもうすでに存在しない。なくなる前にと思って行ってみたが、それでもきっと遅すぎるんだろうな。

自分に何ができるってワケでも特にないし、ただゲーセンに行って好きなゲームをやるだけなのだが、以前のエントリでも書いた「100yen」DVDを観てから、そんなこんなもあり、ゲーセンへの思いが、ますます胸に去来しまくる。

ロスサントス セントラルシティ八丁堀より発信

先日から『GTAⅤ』を始めて、現実世界の見るモノすべてがロスサントスと区別がつかなくなってるよードウシヨー。GTAⅤを終えてから現実に戻ると、現実との剥離感がすさまじすぎて、具合が悪くなりそう。今週は入稿週で来月あの人が退社するから引き継ぎが……え、何のこと? みたいな。

 

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実はいわゆるオープンワールド箱庭ゲーって、『セインツロウ:ザ・サード』(以下『SR3』)が初プレイで、GTAシリーズは、サントラだけはBOX購入するほどめちゃくちゃ聴いてるけどプレイはしてなかったんだよね。

音楽サイドからみてもGTAシリーズがすごく面白そうなのは理解してるので、まー今回もまたそんな感じで見送りかなーと思ってたら、なんと今回、ラジオ局に大好きなあの「soulwax」が参入してるじゃないですか。やばい!

元々音楽センス面からGTAシリーズを注目しはじめてたので、このまさかのサプライズはすごく嬉しかった。それと、海外先行組のプレイ感想の中で「現行機最後の超大作ゲーム」というワードを見かけたのと、360版GTAⅤはHDDディスクインストールに加えて、外部メモリへプレイディスクをインストール推奨の件を知った。そりゃ確かに現行機スペックでめいっぱい容量使うとそうなるよなぁと……つまり、これが本当に現行機最後のパッケージソフトなのかもって気持ちが徐々に高まってきて、シリーズ未プレイだけど、やってみたいと決意した。いや、やらねばと決意して、やってみた。

 

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GTAⅤはゲーム内のスマホで写真が撮れる。これが初写真。わーい路面電車と一緒だよ。

 

まだ序盤もいいとこなんで、あまりプレイの話題を提供できるほどやり込んではないけど、なるほど、一単語で言えば『SR』シリーズが“破天荒”だったのが、『GTA』シリーズは“実直”だと思った。大金手に入れるためにワルをやるのも、意味も理由もそれぞれ真逆な印象だった。SRがギャングスタ寄りのカジュアルなワルで、GTAスカーフェイス寄りのフォーマルなワル、なのかな。

 

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遊園地の中にあるゲーセン。観覧車やジェットコースターには乗れるが、モグラたたきはできないっぽい。他の場所でもアップライト筐体があったりしたけど、プレイ不可だった。ゲーム内ゲームやりてー。

 

『SR3』があまりにも取っつきやすく親切だったので、たとえばファストトラベルとか、ゲーム内の可不可要素をつい比較しちゃうけど、今のところ特に不便はしてない感じ。しかしポリスがめっちゃ強いね……倒してポリス装備を拾いたいんだが、拾う前に銃殺されちゃう。装甲車早くほしい→大金がほしい→やはり強盗か……のループ。株も覚えないとだし、とにかくカネが欲しくて、やれることが果てしない。カネが欲しいのだけは現実と同じで、現実では理性が働きただその先へ踏み込めないだけだった。

 

さっき「現行機最後の超大作ゲーム」と書いたけど、発売スケジュールをよくよく見ると、今月末、あと数日で『BF4』と『CoD:Ghost』が出ちゃうんだよね……けど両方ともXbox One版も出るんでしょー、そっちでやりたいよ! ということで、自分の中では現行機最後ソフトの該当候補には入っていないのだった。しかしまあ、どっちもしばらく購入保留にして、年末年始までどっぷり遊びたくなるほど、GTAⅤ楽しい。まあ、近況はそんな感じで。多分またGTAⅤについて書く。

 

 

インターネットで死ぬこと、現実で生きること

最近、何となく考えさせられるような事が同時多発的に起こったので、適当にまとめて書いてみる。

 

つい先日、「Google+のハングアウト機能で、今年亡くなった実父のアカウントに話しかけたら、もしかしたら父が生き返るんじゃないか、って気がする」という誰かの話題を聞いて、ひとつ思い出したことがあった。

 

今からちょうど8年前、本誌の前進「ユーゲー」の前編集長で闘病治療中だったEさんが亡くなって間もない頃のある日、社内でメッセンジャーソフトを立ち上げていたら、なんとEさんのアカウントが突然サインインしてきて、とても驚いた。

恐る恐る、思わず「Eさん、生き返ったの?」とメッセを投げてみたら、「Kです。あいつのPCの中身を整理しようとしたら、メッセも立ち上がっちゃった」と返ってきた。どうやら編集部で元「ユーゲー」編集長・Kさんが、Eさんのデスクの遺品整理でEさんのPCを起動したら、メッセも起動してしまったらしい。浮上してきた時はすごくビックリしてしまったが、Eさんが本当に生き返って編集部に戻ってきたような気がして、なんだか嬉しかったような、不思議な体験だった。

 

秋のセンチメンタルな季節柄もあり、そんな昔のエピソードをふと思い出していたら、ネットの友人の日記更新一覧に、ある人の日記がアップされていて、またもや一瞬目を疑ってしまった。

その人は、本誌の雑誌時代からの読者さんで、6年前の9月末、Eさん同様、闘病の末に若くして亡くなられて、今回の日記は「早いもので七回忌を迎えました。彼の死後も長く友人でいてくださり、ありがとうございます」という、読者さんの婚約者によるお知らせだった。そうか、こちらももう6年経つのか……。

6年前の夏、本誌ライターから熱心な読者さんだと紹介されて、編集長と一緒に病院へお見舞いに行き、表紙デザインのボツ案などのプリントを持ってお見せしたら、とても喜ばれたのを覚えている。それから間もなくして逝去されたのだった。

ゲーム以外にも多趣味でTシャツコレクターだったらしく、お見舞い後、以前本ブログに勢いだけで書いたエントリを読んで「あのシリーズは自分も大好きです。いい買い物をしましたね!」と感想をメッセージで送ってくれたのが、ちょっと恥ずかしくもあり、嬉しかった。

 

ハングアウトされても返事のない実父、メッセ上に突然浮上してきたEさん、自らの七回忌をお知らせする読者さん……みな、すでにこの世にいない人ばかりだが、アカウントが消えない限り、ネットではまだ、まるで生きているように存在している。

たとえばしばらくの間……ほんの数日でも、SNSやネットから離れてみて、自分のいないオンライン上のログを覗いてみると、まるで自分が死んだ後のいつも通りな世界のように見えて、ちょっとした臨死体験ができることに、最近気づいた。他人のネット時間軸に自分が存在しない世界。これがインターネットで自分が死ぬことなのだと。

また、少し前に「新黒沢」目当てで買ってた「ビッグコミックオリジナル」で連載中の「三丁目の夕日」(西岸良平)で、高齢のおばあちゃんが病気で床に臥せっていたら、過去に亡くなった家族や友人たちが枕元に現れて、いよいよ私もお迎えがきたか……と思いきや、「あなたが長生きしてくれたおかげで、自分たちもあなたの思い出の中でいつまでも忘れられず、ずっと長く生きていられた。本当にありがとう」と感謝されて、まだ死ぬわけにはいかない! と元気になって、その数年後におばあちゃんも天国へ旅立ち、おばあちゃんの思い出はおばあちゃんの子や孫たちへと引き継がれて……という話を読んで、ネットでも現実でも、いつまでも消えない彼らの面影が残り続けるのは、時にはやるせなく、辛くもあるけど、誰かの思い出の中でずっと生きてくれていると考えるのも、まあ悪くはないかなと思った。

 

さまざまな話が同時多発的に交差しひとつになり、生と死についてフト、いろいろと考えさせられたが、まあひとまずはこんな感じで。自分も死んだらハングアウトもサインインもオンラインにも入れないけど、もしそうなってしまっても、できればゲーム上のステータスでは常にオンラインでいたいな。「あいつ死んだと思ったら、ゲーム上ではオンになってるぞ」と言われたい。

フジロックとゲーミング感覚

先週金曜日、「フジロックフェスティバル2013」の一日目に行ってきた。思いっきり平日だが、有給っつーのはこういう時に使うべきだとばかりに。

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実は山間部での開催後、初めての参加だった。昔、2年目(98年)の東京・豊洲開催に行ったことがあって、都心なのに前日の雨で地面が田んぼ状態で、当時流行ってたニセたまごっちを首に掛けてたら、モッシュ&ダイブでタオルとともに紛失したというトラウマがあり、あれはあれでかなり伝説的イベントだった……。

以降は屋内外の夏フェスにはわりと頻繁に通っているのだが、平日休暇を確保しつつ山間部まで行かねばならないフジロックは、文字どおり高嶺の山に感じられ、どんなに魅力的なヘッドライナーが出演決定となっても「どうせ今年も無理だろうな……」と指をくわえて布団の端をカミカミが関の山だった。

 

ところが、今年のフジロック一日目は、とんでもなく素晴らしいラインナップだった。

SkllirexPorter Robinson……!? これは絶対に観に行かねば!!!! と確信した。

 

ここでアーティスト2名のwikiから拾ったような解説をしても無意味なので省略するとして、ゲーオタ的にぜひ聴いてほしいのがこの2曲。もうみなさんぶっちゃけ日記の本文は読まなくていいから、曲だけは聴いて覚えて帰ってください。

Skllirex“With You Friends”


With You Friends - YouTube

 

サンプリングで、カプコンの格ゲー『ヴァンパイア』シリーズのフェリシアの音声が使われてる。なぜ敢えてこのボイスが用いられてるのか定かでないが、スクリレックス本人が『ゼルダの伝説』をモチーフにしたブラウザゲームSkrillex Quest』を発表したり、先日ここでも書いたディズニー映画「シュガー・ラッシュ」でも劇中に登場するアーケードシューターのBGMを担当したり、挙げ句にはパーティーDJとしてチョイ役出演したりしてるので、とにかくゲーム好きなんだなってのがよく伝わる。

 

Porter Robinson“Langurage”


Porter Robinson - Language (Official Video) (Ministry ...

 

こちらは音楽フェス×レースゲー『Forza Horizon』のオープニングメニューで使われている、クラブのアンセムチューン。デモ中では山間のダムや滝を見に来たりする映像とともに流れるのだが、実際のPVを見たら、PVでも山間部が舞台になってるっぽくて、山が似合う曲なのだなーと感心した。ちなみにポーター・ロビンソン自身も相当の日本オタクらしいが……。

 

 

同じアーティストのファンである友人も、マイカーを出すので有給を取って一緒に行こう、と誘ってくれたので、何とか予定調整をして、出発直前日まで校了、責了に追われつつ、すべての仕事をぶじ片付け、フジロック会場の苗場へと旅立った。

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夕方のグリーンステージのマイブラMY BLOODY VALENTINE)のライヴが終わる頃に、フジロック恒例である雨の洗礼を受け、地面はあっという間に田んぼ状態となってしまったが、まさにこの時のために綿密に事前準備してきた雨具類などが大活躍で、対策はほぼ万全だった。ただ、準備が行きすぎたのか、替えのタオルや着替え類が、予想以上の雨量のため防水リュック内でも濡れて重みを含んでしまい、最終的には肩に大負担のお荷物になってしまったのが残念だった……。

日焼け止めはウォータープルーフ仕様、腕カバーにしたのと、虫よけ対策を拭き取りシートとスプレーでダブルアップにしたのは、かなり効果バツグンだった。

……と、ここまで書いてるうちに、なんかフジロックってゲーミングだなーと気づいた。限られたインベントリ内にどのコストの所持品を入れたり身につけるかを判断し、当日の行動スケジュールをマッピング管理したり、休憩ポイントを設けたり……こりゃもはや、ちょっとしたゲームだ。

 

ところでフジロックに挑む2ヵ月ほど前から、週一で1時間ほどのランニングを始めた。初めての山登りフェスという期待と不安と自信のなさもあり、過酷な座り仕事で鍛えられた精神力だけではちょっとマズイかな、と思い立ち、ダイエットも兼ねて、走ることから始めようと考えた。

その結果……かはわからないが、前出の雨で重さの増えたリュックで痛めた肩とちょっとした足裏の痛み以外は、特にへばることなく、フジロック一日目を無事迎えられた。筋肉痛もほとんどなかった。

 

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ちなみに会場にも持ち歩いた3DSで計測した当日の歩数は、約28000歩だった。こんなトコにまで3DS持ってくるヤツなんか自分ぐらいしかいないだろうなーとタカをくくったが、20人以上は確実にすれちがった。もっとこまめにすれちがいチェックできればよかったが……まあライブに夢中だったという本末転倒ってことで。

 

で、肝心の2アーティストのライヴは……今世紀最高のライヴアクトだった!! 特にスクリレックスは、今まで観てきたテクノ系ライヴの中でも一番のものになった。会場内を包む激しい雷雨までもがステージ演出のひとつという、まるで彼の味方になっているようだった。雷雨までも操る男・スクリレックス!!

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スクリレックスのライヴ終了直後のDJブース。中二マインドあふれる羽根付きビックバイパーっぽくて、めちゃくちゃかっこよかった。こいつがステージ中に変形して立ち上がるんだぜ?(むしろマクロスのバルキリー説濃厚)

 

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次のポーター・ロビンソンは、屋根付きステージで雨をしのぎつつ観られたが、さすがにスクリレックスで精根尽き果ててしまったのが、座りこんでの観賞に。でも最後に“Language”をやってくれたので、ラストに力を振り絞って踊りまくった。VJ映像にラムちゃんやまどマギのキャラ画が流れて、やっぱ日本オタだったんだ……と感動した。

 

以上、だいぶ強引なフジロックレポと、「フジロックはゲーミング性高い」話はこんなトコで。またいつか行きたいな、フジロック

 

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他に観たアクトだと、ベンジー浅井健一)バンドのライヴが素晴らしかった。ベンジーファンだったHさんに、ベンジー観たぜーと自慢してやるかな。

 

夢の中でもやってるゲームは名作!

梅雨に入り、夏が近づき夜がだんだん短くなってくると、ゲームで夜更かししがちになり、昼夜問わずずーーーっと眠い。

最近の夜ふかしお供ゲームは、通勤で3DSすれちがい通信を10人MAXにした状態で、4種の「すれちがいゲーム」

どのタイトルも実によくできていて、外に出てどんどんすれちがい通信したくなるような作りになってる。『すれちがい合戦』と『すれちがいガ~デン』など、コインのゲスト召喚ではカバーしきれない、実際のすれちがい人数が大きく左右する環境依存タイトルもあるけど、細かい要素に感心しながら楽しくやってる。従来の『ピースあつめの旅』と『すれちがい伝説』と合わせて6本を一気にやり通すと、Rボタンで早送りしててもあっという間に1時間以上経ってたりする。やばい。

中でも一番お気に入りなのが『すれちがい迷宮』。すれちがいMiiたちから色別のピースをもらって、フロアをパズルのように埋めて、階段を発見して上階を目指すシステムで、同じ色で合わせていくとアイテムがたくさんゲットできるのが嬉しい。敵とのバトルは、合成して鍛えたさまざまな武器を使いこなし、攻撃とガードボタンをうまく操作して攻撃するアクションタイプ。パズルアドベンチャーでもありアクションでもあり、こういうカテゴリにとらわれない多面的ゲーム、かなり好物だ。

 

んで毎晩『すれちがい迷宮』サイコーウヒョー!! と就寝してたら、とうとう夢の中にまで『すれちがい迷宮』が出てきてしまった。あるフロアでバカでかい巨大ピースをはめこんだら、はめる方向を間違えたらしく重要アイテムが回収できない~と困ってる内容の夢だった……。

 

『テトリス』が大流行した頃、夢の中までテトリスしてる現象みたいに、ハマッてるゲームが夢の中に出てくると、自分の中でそのゲームは、ある意味で名作殿堂入りになってる。「魔女っ子シューティングにハズレなし!」の名言と同じような、まったく根拠はないが何となく納得させられる、そんな定義だ。

 

すっごくハマッてるし大好きなゲームでも、夢の中にまでは出てこない場合がむしろ多いけど、きっと眠れる脳の無意識下の片隅にまで印象深くゲームが入り込んで、夢でも現れるのかなって気がしてる。夢に出てきてしまったことで、いわゆる「思い出補正」とは違う、いつまでも忘れられない思い出となり、自分の中でなぜかエバーグリーンな名作となってしまうのだ……そう、まるで今まで特に何とも思っていなかった異性が夢に出てきてなぜかいい感じの恋仲になってしまい、実生活でも妙に意識しちゃうようになる、あの名前のない現象の!!

 

これまで夢に出てきたタイトルだと、『Fallout 3』で下水道にいるモールラットの頭を棒で殴って爆破させて倒すクエストが衝撃的すぎて、夢でもモールラットの頭が爆破したり……とか。夢って、眠る直前までに見ていた光景が夢でコンテニューされてる場合もあるから、特にショッキングな映像として登場したのかも。

 

ところで夢の中でもやってるゲーム、パズルゲームが多い気が何となくするけど、なぜだろう。夢は無意識下に溜まった複雑な感情や情報を、アンチウイルスソフトのように最適化する効果があるとかナントカと、昔心理学で聞いたことがあったけど、パズルは脳回路を構築するものだから、たぶん夢=脳情報の最適化と親和性が高いからかなーなんて考えたり。

 

しかし夢の中でもゲーミング、それなりに楽しいけど、目覚めがけっこう疲れてしんどい……。RPGものの夢だと、次のフローチャートへ行くまでが時間かかるから中途半端に終わってしまい、もどかしい気分で目覚めたりとか。なぜ夢の中までゲームでしんどくなるんだ、とやるせなくなるが、現実でゲームしすぎてるせいで夢にまで見てるんだから、世話ないしどーしょーもないのかも。

あとゲームとは関係ないけど、海外旅行のため出発ギリギリまで準備に追われてやっと空港へ……で目覚めちゃう夢を、しょっちゅう見る。一番肝心の楽しい海外旅行先のことまでいつも届かず、ただひたすら準備と出発に焦るだけの内容。

まあ夢はしょせん夢だから、いつも叶わないのだろうか。にんべんに夢と書いて「儚(はかな)い」と読む、か……(「お父さんは心配症」で覚えた漢字)。

5年前の今ごろの話をする

明日6月8日で秋葉原通り魔殺傷事件から5年かー。

もう5年も過ぎてしまい、編集部(がやってる事は何ら変わりないけど)を取り巻く環境なども変わってしまって、あの時、身をもっていろいろ感じたことや起こったことを、今さらだけど、そっと書いておこうかな。自分以外、神も悪魔も誰も降り立たない荒野ブログだし。

 

5年前の今ごろは、『テイルズ オブ』シリーズ特集号を作っていた。そろそろ校了時期で慌ただしかったけど、週末に友人たちから立川で飲もうぜーと誘われて、いつものようにゲームの話などしながら明け方まで飲んで、朝帰りで解散するかーと中央線に乗り込んだ時に、友人が携帯の一行ニュースを見て「秋葉原で殺傷事件だって!?」と声を上げた。これが自分が事件を知った第一報だった。

仕事柄、秋葉原へ通うようになったのもちょうどこの頃で、もしかしたら自分が事件に巻き込まれていたかもしれない……と血が冷めていくような、すぐそばにある恐怖を感じつつ帰宅して、テレビで一連の報道を見ていたら、犯人の中学校の卒業アルバムに『テイルズ オブ デスティニー』のリオン・マグナスのイラストが描かれていて、容疑者が本作のファンであったのを知った。

 

『テイルズ オブ』シリーズ特集号を制作していた最中の、何ともいいがたい衝撃だった。

『テイルズ オブ』シリーズが好きなファンの中にはもしかしたら犯人がいて、本誌を手にとってくれていたのかもしれない。やるせなかった。

 

出ている情報でしか認識できないが、もし事件の犯人が、いわゆるアニメや漫画のオタクだったら……まあ時折起こってしまうオタクへの誤解を生み出す事件かな、って程度だったかもしれない。しかし、あの卒アルのテイルズイラストから考察するまでもない、ゲームオタクだったら……ゲーオタとして心を揺さぶられないはずはないと思うのだ。

 

事件の悲しみや、犯人の心の闇の深さとやりきれなさに暮れる間もなく、本誌校了がいよいよ迫ってきた。しかしいつもの連載コラムの原稿が、〆切ギリギリになっても上がってこない。「今回は少し時間をくれ」とのことでついに完成した原稿は、このような出だしだった。

 

 

やりにくいけど、やる

 

 あーやりづらいなあ!

 何がって、ほらアレだよアレ。どう考えても『カーマゲドン』に『ポスタル』って感じの事件が起きちゃってさ、いろいろな意味でやりきれず、またやりにくくなったわけよ。やっぱなー、タイミング的になー。ワタクシめのような文筆業の傍流の末端に位置する者でも、それなりの社会的責任があると考えればだね……。

 それでも締め切りは迫ってくるし、他に何のアテもないから、結局は書いちゃうんだけどね。だってそれしかねんだもんよ。

 

 

 

この冒頭から、今ハマッているという360版『バーンアウトパラダイス』をいつもの調子で紹介する内容だった。コラムの締めで、なぜ本作が素晴らしいかを語っているのだが、その観点にハッとさせられた。

 

 

(中略)

 自動車を題材にしたゲームはごまんとある。きっとそれらの開発者たちも、車好きに違いない。それぞれのゲームに、様々な自動車への偏愛が見て取れる。

 で、『バーンアウトパラダイス』にはそれが極端に現れている。あまりにも自動車中心主義を貫きすぎたせいか、人間不在になってしまった! パラダイスシティには歩行者など一人もいない。それどころか、【走っている車にもドライバーが乗っていない】

 それは、人を轢き殺したり、クラッシュするとドライバーが内臓破裂で死んだりするようなゲームだと、年齢制限がついてしまうから……かな? たぶんそうだろう。だけど俺はそう解釈しない。

 ここは楽園なんだよ。人間の手を離れた、自動車たちの楽園。

 だからこのゲームはジャンクヤード(解体所)から始まる。人間の所有するガレージでもなく、また人間が自動車を売り買いするディーラーでもない。そういうものはパラダイスシティに存在しない。この世界では、自動車は誰かに売り買いされて使われるようなものではない。自動車が自身の自由意志によって走り出すんだ。

 そこがたまらなくイイんだよ。この解釈が間違っているとは思えない。なんせゲーム中の車種紹介でも、「スクラップになりかけてなお攻撃的に走り続ける驚くべき精神力だ」なんて説明文があるくらいだ。あるんだな、自動車に精神力ってものが……どんなファンタジーよりも幻想的な異世界じゃないか!

 

 

これを読む前、自分は「現実がつらく、ゲーム好きであれば、ゲームの世界へ逃避すればよかったのではないか?」など漠然と考えてはいたものの、うまく言語化できなくてモヤモヤしていたが、〆切ギリギリまであの事件とゲームの関係に向き合って葛藤し、最後に「人のいない、車だけの楽園世界なバンパラ最高!!」と結んだ文章力と、レースゲームへの深い愛情と、不器用さの裏側にあるかもしれない人への優しさに、すっかり感服してしまった。

実際に起こった事件や出来事について、ゲームを交えて考えられるのは、人生や生活がゲームに寄り添っているからであり、「ゲーム感覚で人殺しする」など報道で呼ばれる“ゲーム感覚”のそれとは異なる感覚なのだ……って、このへんは編集長もいつか言ってたっけ

 

 

犯人の心の闇を作り出してしまった状況や世間は、結局5年たった今でも特に変化はない気がする一方、自分らは何とか忙しく(毎号残機ゼロウイングだけど)ゲームの本を出せている……奇跡のような、崖っぷちの連続だった5年間と、ちょうど5年前を、ふと思い出してみた。

 

5年たっても忘れられない人々が、事実が、そこにいる。